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川淵三郎の評判は?差別発言に驚愕!プロフィールと経歴も総まとめ!

川淵三郎の評判は?差別発言に驚愕!プロフィールと経歴も総まとめ!

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の後任として、川淵三郎氏が調整に入ったと報じられています。

川淵三郎氏はサッカーのJリーグ、バスケBリーグの両方をプロ化させた人物としても知られています。

しかしその一方で過去の発言やSNSでの差別発言から、徐々に海外からの批判も出ている状況です。

今回は「川淵三郎の評判は?差別発言に驚愕!プロフィールと経歴も総まとめ!」と題し、

  • 川淵三郎氏の評判
  • 川淵三郎氏の差別発言と海外の反応
  • 川淵三郎氏のプロフィールと経歴

をご紹介していきたいと思います。

川淵三郎の評判は?

川淵三郎氏はスポーツ界では大きな功績を残していることから世間からは高く評価されています。

前途しましたが、川淵三郎氏は日本でサッカーとバスケットボールをプロ化した人物として知られています。

しかしその一方でワンマンぶりからマスコミから「独裁」と揶揄されることも少なくなかったといいます。

「独裁」については川淵三郎氏自身も認めており「独裁力」という著書を出版しているほど・・・!

著書の中では「リーダーは独裁者たれ」と綴っていることから、自他共に認める「独裁」主義者なのかもしれません。

ただ川淵三郎氏がこの「独裁」を上手く使ってきたからこそ、今のスポーツ界の発展へとつながったはずです。

「独裁」という力を持ちスポーツ界を牽引してきただけに川淵三郎氏。

トップに立つ立場だけあって川淵三郎氏の評判は、良い部分もあれば悪い部分があるのも当然のことです。

川淵三郎氏の評判は賛否両論ありますが、これからの行動や発言にも注目していきたいものです。

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川淵三郎の差別発言と海外の反応を紹介

川淵三郎氏の立場や過去にメディアやSNS上で差別と思われる発言とツイートをしていたことも影響してか、海外メディアから批判が出ています。

2月11日放送の「報道ステーション」ではフランスのメディアが以下のように報じていたといいます。

近隣諸国を動揺させかねない立場を取ってきた人です。

川淵氏の歴史認識やナショナリズムが災いするかもしれません。

フランスルモンド紙 東京特派員 フィリップ・メスメール氏

引用元:報道ステーション

この発言をしたフランスルモンド紙の東京特派員フィリップ・メスメール氏が言う

  • 歴史認識
  • ナショナリズム

に関してどの部分を指しているのかは明らかとなっていません。

しかし川淵三郎氏のSNSの投稿を見てみると、差別発言と見られるものがいくつもあることがわかります。

またテレビに出演した際に韓国に対する差別発言と思われる発言があったともいいます。

また愛読書が月間「Hanada」だと言うことで、ネット上では大きなバッシングも起きています。

月間「Hanada」は保守系のオピニオン誌です。

川淵三郎氏の過去の発言などから日本はおろか、世界から今後様々な反応が出てくるのは確かです。

世界平和を願う祭典であるオリンピックの組織委員会の会長として、過去の発言がどう影響してくるのか現段階ではわかりません。

もし川淵三郎氏がオリンピック組織員会の会長に任命された際には、過去の発言などきちんと説明が欲しいものです。

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川淵三郎のプロフィールと経歴

川淵三郎氏のプロフィールと経歴を簡単にご紹介していきます。

プロフィール

名前:川淵三郎(かわぶち さぶろう)

生年月日:1936年12月3日

年齢:84歳(2021年2月現在)

出身地:大阪府高石市

最終学歴:早稲田大学第二商学部商学科

川淵三郎氏は中学時代は野球少年だったものの、高校入学後にサッカー部に入りサッカーを始めています。

2浪を経て早稲田大学へと入学したあとはサッカー部で活躍し見事関東リーグ優勝まで導いています。

その後日本代表に選ばれ、ローマ五輪アジア予選出場、第7回チリW杯アジア予選出場へ出場するなど日本のサッカー界に貢献します。

大学卒業後は古河電気工業へと入社し、横浜電線製作所へと勤務するかたわら、同社のサエッカー部でプレーします。

1962年には、インドネシアで開催さらえたアジア競技大会へと出場。

1964年には日本代表として東京オリンピックへと出場し、アルゼンチン戦でゴールを挙げていいます。

なおプライベートでは1962年に結婚し、嫁との間に2人の娘を授かっています。

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経歴

川淵三郎氏は1970年に現役を引退後、古河電気工業サッカー部のコーチに就任されました。(1975年に退任)

また並行して日本代表の監督を務めるなど、日本のサッカー界の発展にも務めたといいます。

1991年には社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立。

30年務めた古河電気工業を退職し、サッカー界を盛り上げるためメディアにも積極的に発言などを行うようになります。

初代チェアマンを務め一躍日本中の注目を集めます。

また同年に古河電気工業を退職後は、サッカー界を盛り上げるためメディアで注目されるよう動いたともいいます。

その後2002年にJリーグのチェアマンを退任した後は、日本サッカー協会の会長に就任。

メディアに対し自分のことを「キャプテン」と呼ぶよう呼び掛けたともいいます。

また活躍の場はサッカー界だけにとどまらず、2015年には日本バスケットボール協会の会長に就任

改革に乗り出し、自身の発信力や剛腕力を生かし、Bリーグの設立を成し遂げます。

現在は日本サッカー協会の相談役、一般社団法人スポーツ協会の顧問を務めるなどスポーツ界の発展に威力を尽くされています。

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まとめ

「川淵三郎の評判は?差別発言に驚愕!プロフィールと経歴も総まとめ!」と題し情報をまとめさせていただきました。

川淵三郎氏の評判は良い面もあれば、悪く取られる部分があるなど様々です。

過去の発言など今後注目されることで、今後の川淵三郎氏の評判が変わっていく可能性は大きいでしょう。

プロフィールや経歴など輝かしい功績をお持ちなだけに、今後の発言が注目されます。

今回は以上となります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。