バラエティ番組などでの毒舌で何かと注目を浴びることも多いバイオリニストの高嶋ちさ子さん。
最近はご家族とテレビ出演する機会も増えており、高嶋ちさ子さんの父親やダウン症のお姉さんとのやりとりでわかった家族全員が強烈的なキャラクターの持ち主という所にも注目が注がれるようになりました。
ということで今回はそんな高嶋ちさ子さんの父親である高嶋弘之さんにフォーカス!
現在も現役で働き続ける高嶋ちさ子さんの父親である高嶋弘之さんの職業やビートルズとの縁、またお金持ちの噂について記事にまとめていきたいと思います。
それでは行ってみましょう♩
高嶋ちさ子の父親の職業は音楽プロデューサー!

高嶋ちさ子さんの父親の高島弘行さんは、現在85歳(2019年12月現在)、今も音楽プロデューサーとして現役で活躍されています。
もともとは会社員として東芝EMIの元ディレクターとして活躍されていた高嶋弘行さん。
早稲田大学文学部を卒業後、東芝EMIへと入社しレコード事業部へと配属されています。
そして25歳という若さでディレクターへと抜擢!
実はものすごい経歴をお持ちのすごい人でありました!
1970年にはキャニオンレコード(現在はポニーキャニオン)の取締役制作部長へと就任。
1976年にはポリグラムグループへと移籍し、ポリドール・レコードの常務を務められていました。
そしてその後は独立し自身の事務所である「高嶋音楽事務所」を設立。
85歳となった現在も現役で代表を務められ、今も音楽プロデューサーとして活躍されています。
高嶋ちさ子の父親はビートルズのプロデュースで成功を収めたすごい人!

高嶋ちさ子さんの父親の高島弘行さんは、東芝EMI時代にあのビートルズを日本へと紹介した人としても知られています。

イギリスでは超がつくほどの有名歌手だったビートルズ。
しかしその当時は日本ではビートルズは全くの無名だったとか。
そんなビートルズを高嶋ちさ子さんの父親は日本で有名にしようと立ち上がれい、
- 全国のラジオ局への営業
- 販促活動
などに従事します。
そしてその努力がのちに実り、徐々に日本でビートルズが知られるようになっていったのです。
ビートルズのセカンドシングルの「Please Please Me」でビートルズが少しずつ知れ渡るようになると、その後、日本でのビートルズ人気に拍車がかかり・・・見事大ヒット!
ちなみに日本で高嶋弘行さんは、ビートルズの楽曲の邦題を命名したことでもファンの間では知られる存在なんだそう。

それにしても今もビートルズは当時と変わらず愛される存在ですが、そんなビートルズを世に広めた高嶋弘行さんはやはりすごい人でしたね!
娘と同じくらいキャラの濃いお父さんですが、仕事では大きな結果を出していることが伝わってきます。
高嶋ちさ子の父親がお金持ちなのはビートルズの影響?

日本でビートルズを一躍広めることに従事した高嶋ちさ子さんの父親の高嶋弘行さん。
音楽業界で華麗なるキャリアを積み、勤め人として働いてた頃の年収は最終的には1億円前後までいったのではないかといわれています。
もちろんここまでの多額な年収を得るようになったのは、高嶋弘行さんの業績やビートルズでの成功があったからこそ。
娘の高嶋ちさ子さん同様、その毒舌っぷりに注目が集まる高嶋弘行さんですが、きっと勤め人だったころもその毒舌っぷり(と凄腕)でキャリアを積み重ねていったのではないかと思います!
それにしても今の高嶋ちさ子さんがあるのも、同じような毒舌っぷりのご両親がいたからこそ。(奥様もかなりの毒舌をお持ちだったとか)
父親の高嶋弘行さんの音楽業界での成功があったからこそ、高嶋ちさ子さんは、教育にお金をかけてもらえ、音楽で成功した。
その事実は何事にも変えられないかと思います。
80代後半となった今でも、音楽業界でプロデューサーとして働き続ける高嶋ちさ子さんの父親の高嶋弘行さん。
これからもメディアを通してその元気な姿を見せ続けてほしいものですね!
まとめ
「高嶋ちさ子の父親の職業は音楽プロデューサー!ビートルズで金持ちに?」と題し、情報をまとめさせていただきました。
高嶋ちさ子さんの父親は音楽プロデューサーとして現在も現役で活動していることがわかったと思います。
ただお父さん曰く今は娘の方が稼いでいるとのことなので、現在は仕事のペースをかなり落としているのかもしれませんね。
娘の毒舌っぷりに対抗できるのも、高嶋ちさ子さんの父親だからこそ。
これからも時々テレビに出て、娘とのやりとりを披露してほしいものです♩
最後まで読んでいただきありがとうございました!




